【インタビュー】西森千明~「かけがえのない」について

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西森千明さんのセカンド作「かけがえのない」の素晴らしさをなんと伝えたらいいものか。”とある日”という曲の、次の一節が来るといつもじんわり熱いものがこみ上げてくる。「小さなことを愛でるとうとさよ/ここでうまれる/風と光のおもかげは/いつでも/そばにある」私が年をとったせいで涙もろくなった…というわけではない(かもしれないが…。)。「かけがえのない」での西森さんの歌唱とピアノには、懐かしさと同時に、音楽の持つ優しさ、喜びが、聴く者の気持ちを前に向かせてくれる。懐かしさというものは、小さい頃から青年期の感受性を通して染み込んだ風景、そして自分自身を取り巻く環境の変化の中で過ぎ去った年月は二度と戻らないという諦念みたいなものが底辺に流れているような気がするのですが、「かけがえのない」はそんな在りし日を偲ぶようなノスタルジーな作品でもない。なぜなら、この作品には、希望を抱き、勇気を持って前へと進んだ、その先の風景が描かれているから。

interview & text : Kenji Terada (PASTEL RECORDS)

 

“青葉”という明治時代の文部省唱歌を取り上げてらっしゃって、西森さんのうたう、曲の魅力に、無限定な永遠を心で見た気がします。この曲は「かけがえのない」を生み出すきっかけとなっているでしょうか?

はい。とても大事な歌です。前作「仄灯」を作ったあと、とある幼稚園での演奏会の機会をいただき、童謡や唱歌を歌いたいな、と思い、探していた時に出会った曲なのですが、緑のゆたかな幼稚園でしたので、自然がテーマの曲がいいな、と思いながら、「あ」行から探して、すぐ「青葉」と出てきて、タイトルを見て直感で素敵だと思いました。そのおおらかな歌詞とメロディーの素直さに、本当に嬉しくなりました。しかも、作者不詳、ということで、余計に普遍性を感じました。

とても素直な広い感覚で、誰もが良いと感じられるものを包みこむような音楽です。「美しい」とか、感情を表すような、ある種の偏った限定的な言葉は使われていません。でも、見えている風景や現象、その遠近感や陰影を、メロディーの膨らみ・しぼみ・伸び、などとともに、聞いてすぐに誰もがそれぞれの風景を想像できるような、やさしい言葉で描かれていて、自然と、そのような光景が思い描ける・・・。音楽に触れてこんな嬉しいことありません。音楽の中にすっと入っていける幸福感、安心感。本来、音楽には、そんな力があって、私もこの「青葉」のような音楽を作っていきたい、と思ったものです。

「かけがえのない」は、前作の「fragments」とは作品の持つ空気や詩に乗せられたメロディーのたおやかさが、全くとまでは言いませんが違ったものに聴こえました。まるでタイムカプセルを空けたような「懐かしさ」と同時に、とても前向きな気持にも包まれたのですが、この作品の中に込められた思いというものは、どのようなきっかけで生まれ制作へと繋がっていったのでしょうか?

「fragments」のあとに”archipelago”というトリオを始めたり、「仄灯」を作っているので、それはとても大きいと思います。「fragments」や、私の演奏を聴いて、私の歌声やピアノの音色から色々イメージが湧く、という感想を頂くことがあり、(雲、とか、煙、とか)なるほど、音色や声色でイメージが湧くって面白いな、と思いながら、”archipelago”では、ピアノ・歌・スティールパン・コントラバス(時々フルートも)という編成で、それぞれの楽器の音色から想起されるイメージを楽譜にも書き込みながら曲を作り、演奏しながら、風景や色や温度、質感などをそれぞれに思い描きながら演奏するように、とメンバーとも話していたと思います。

そして、「仄灯」では、私の奏でる音が、ろうそくの炎のように、ほの暗く、ゆらいで、でも温かい、という印象がある、と、言って下さった方がおり、そんな曲を作ろう、と思って出来た作品でした。このように、自分の持っている音色で色々表現できるということはとても幸せなことなので、自分の好きな感覚をもっと探しながら、素直に奏でられる音楽を作っていきたいなあ、と思うようになって、その過程で作られた楽曲が、今回の「かけがえのない」にまとまりました。

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“とある日”の歌詞の中で「小さなことを愛でるとうとさよ/ここでうまれる/風と光のおもかげは/いつでも/そばにある」という一節の『ここ』とはどのようなことを指すものでしょうか?

一番自分のそばにある部分、という感じです。遠くではなく、「ここ」です。はっ、と気がつくとここにある、というくらいの距離です。自分のそばから何かしらうまれていると思います。

“透明の光”での「新たな季節を前に/飛び立つ思い出」や、”ゆたかな風景”で「いつか/かわる/これからを想うのを/やめないで/あたためて」というところなど、いずれも”出会い”や”別れ”といった先にある、人の成長、希望というものが、作品に反映されているような印象を、私は感じたんですが、このような意見についてはどう思われますか?

ありがとうございます。そうですね、なんだかこう、日々、色々なことがあっても、次第にニュートラルになって自然に前に進むのが、清々しくて心地よいな、と思っているといいますか・・・。色々避けて簡単にさっさと前に進むのではなく、衝突して、何故なのか考えて、悩んだり悲しんだりしたって前に進める、というほうが、すごいと思うんですね。その静かで深い力強さは、きっと色んな場面で生きてくると思ってます。なんというか、本当は、五感と喜怒哀楽をバランスよく使うことができれば、大丈夫なんじゃないか、と思ったりもします。でも今はそう出来る環境が少ないのかもしれず、欲している人は多いような気もしています。多様化と利便性の向上で、かえってイライラしている人が多かったりとか・・・。だからこそ、当たり前かとも思うのですが、本当は色々なことをもっと大事に出来たらいいですね。

挙げて頂いた歌詞にもあるように、気持ちや環境など、変わることもあって、悲しかったり寂しかったりムカついたりする気持ちももちろん大事だし、これから先のことを考えるのも大事で、それを飛び立つような心地よさと捉えられたら、ふっと身軽になれて、穏やかさや喜びに包まれるのではないか、と。深く考えすぎる必要はないと思うんですが、マイナスとプラスのバランス感覚・・・「どっちも大事だ」と思う広い心・・・そういうものを、いいな、と思えるような機会がもっとあれば、色々とうまくいくのではないかな・・・ゆたかな風景がもっと広がるのではないかな・・・?などと、ひそかな野望を抱いていたりもします。

ふと感じたのですが、今作品の詩には、あなた~のような人称名詞が出てこないですね?

いえ、実は時々こっそり出て来ています。ただ、「あなた」や「わたし」を描く曲ではないから目立たないでしょうね。現象や風景を描くために用いている、という感じです。「透明の光」で「あなたのひざの上に/まいおりて」とありますが、ここは、より、光が、聴く人のひざの上に差している情景を描きたかったからです。「とある日」の「おごそか/わたしのなかに/しずみこむ」も、「青い影」が「しずみこむ」状態を印象づけるために「わたしのなかに」、としています。たとえば、の話として・・・。「雨のふる音」の最後で、「僕ら」という言葉を使ったりもしていますが、それぞれ、見える風景が、聴く人にとっての物語になってもいいし、誰かの物語であってもいいし、というつもりなので、人の存在は中心ではないということです。

録音・ミックス・マスタリングには、WATER WATER CAMELの田辺玄さんが参加されていますが、お願いされた理由は?

私がWATER WATER CAMELを初めて聴いたのは、「さよならキャメルハウス」という作品でしたが、この1曲目「運命のアラサー」の1音目(エレキギターのストローク)を聴いた瞬間に、わあ、いい音!と思い、クレジットを見ると、メンバーである田辺玄さんが録音されているということで、素晴らしいことだなあ、と思い、お願いしたいな、と思いました。玄さんも私の「fragments」を聴いて下さっていたり、共通のお友達はたくさん居たので、すんなり、とてもいい具合に、一緒に作りましょう、という話になったりしました。演奏する方が録音も出来るというのは素晴らしいことで、より、演奏する人の気持ちを理解できる方だろうなあ、と思っていましたが、やはりその通りでした。

聴いた最初の印象が、スタジオ作品とは全く異なる音の質感でした。西森さんの歌声もどこか浮世離れしたような響きが素敵なんですが、その反面、スタジオ作のクリアな質感とは全く異なったものなんですが、この作品の仕上がりというものに関してどのような点に気をつかわれましたか?

周りの環境の音が聴こえる場所での録音なので、ごく当たり前のように、自然の音が、学校の床や壁や天井に響く楽器や歌声の音色と、一緒にその時そこに存在して聴こえている、という現象に、素直に向き合うことを大事にしました。境目はなく、奏でられる音も、その場に滲んで膨らんで、遠くまでほのかに届いて繋がっているということ。

ただ、音源に仕上げていく過程で、それが「クリアではない」という事実を理解して尚、そのままの感じを大切にしようとするのは、結構、勇気の要ることでした。迷いも生じました。歌や音色が環境になじんでいるということは、メロディーや歌詞が聴こえにくい、ということになり兼ねませんでしたし、何と歌っているのかわかりにくい、と思う方もいるだろうなと思います。でもなんだか、私の音楽は、特に今回の作品は、そういうことではないのだとも思っていました。

玄さんのご理解があったからですが、よく言ってくれていたこととして、周りの音も、音楽の物語の一部分として必要な、大事な要素だ、ということ。私が、自然のそばで思い描いた音楽を、自然のそばで奏でる。だからこうなる。という、至極シンプルで強いことなのです。

鳥のさえずりや、風の音、物音なんかも、すべて無編集なんですか?偶然にすごく演奏とリンクしているところもあったんでびっくりなんですが。

はい、そうです。周りの音を聴きながら演奏していたので、通ずるところはあったと思います。演奏していて自然の音と相通じているように感じられたのは、とても幸せな嬉しいことでした。

資料では、ヴァシュティ・バニヤンを引き合いに紹介されてるかとおもいますが、この作品を聴いて、思わず、イギリスのフォークバンド、HERONを思い出しました。

すみません、HERON知りません・・・。今度探して聴いてみます。

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レコーディングは南山城村旧田山小学校で行われましたが、この場所はもともとご存じだったのですか?

いえ、知りませんでした。「自然豊かな場所にある学校」で録音したい、と思って、全国のそれに近い場所を色々と探していたところ、南山城村に、古民家ギャラリーがあり、そこにピアノがあった、と教えてくれた友人がおり、ブログを見ていたところ、その中の記事に、今回の「旧田山小学校」にある「cafe ねこぱん」での演奏会の様子が載っており、ピアノがある!と知り、ここだ!と直感しました。すぐにcafe ねこぱんに連絡を取らせていただきました。見ず知らずの私を、広く受け入れて下さった、cafeねこぱんや、学校内で活動されている皆さんのおかげです。本当に感謝しています。

ジャケットの帯写真には、窓が一つ開けられた教室の中にピアノを入れてのレコーディング風景がおさめられていますが、レコーディングはずっとこんな雰囲気の中行われたのですか?

はい、そうです。南山城村特産の紅茶なども淹れながら、リラックスした雰囲気の中、演奏させて頂きました。

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西森さんは小学校時代の心に残っている思い出ってなにかありますか?

そうですね・・実は小学校時代は転校が多くて、3つの小学校に通ったのですが、ひとつは、裏山のある学校で、どんぐりをたくさん拾って机の中に入れていたら幼虫が孵化してしまったり、芋掘りをしたり、あ、1年生の一番はじめに習った国語の教科書の1つめのお話が、くまがこぶしの花をおいしそうに食べる話で、校庭にもこぶしの花が咲いていて、先生がみんなをそこまで連れて行ってくれて、これがこぶしですよ~、と教えてくれたのですが、おいしそうに見えて仕方がなかったです。いまだに、こぶしを見ると、おいしそうだと思います。(笑)

ピアノを始められたのは小学校の時ですか?

いえ、幼稚園の5歳の時です。仲良しのお友達が、オルガンで「ねこふんじゃった」を高速で弾いていて、見よう見まねで弾いたりもして楽しかったので、私もピアノ習いたい、と母に言ったそうで、始めさせてもらいました。

西森さんは歌もとても素敵ですが、ピアノの演奏も情景や心模様が見事なんですが、ピアノの演奏で気を付けていることは何ですか?

ありがとうございます。・・気をつけているのは、姿勢と呼吸です。完璧ではないですが、注意していないと、体を痛めてしまうので。楽に弾けるコツを見つけてからは、出したい音が出せるようになってきました。柔らかく、じんわりした音を出す為に必要な軸・芯は大事にしているつもりです。

今回は、他ミュージシャンとの共演はないですが、ご自身だけの演奏/歌だけで創り上げるということに決めてらっしゃったのでしょうか?

いえ、録音する前は、気軽な気持ちで、誰かとも演奏できるといいかな、と思っていたのですが、学校の下見をした段階で、一人で演奏する方がふさわしいな、と感じました。自分の中だけでずっとじっくり思い描いていた世界感が実現しそうになって、ひとりでそこに居てみたい、と思ったような気がします。自分の記憶とその場の記憶とだけで会話をしてみたい、と思ったといいますか・・・。直感的なものでしたが。

あと作品のパッケージについて教えてください。木材チップの素材を使った、まるで卒業アルバムのような大切にしたくなるパッケージは誰のアイデアだったんですか?

CLOVER RECORDSスタッフでデザイナーの長井雅子さんの案です。色々な材質のジャケットを検討していたのですが、最終的に、木製、という案が出た時は、すごいな、と思いました。わくわくしましたね。聞いたことない。と。木造の校舎で録音したにふさわしい。でも、私が、なんとなくのイメージで、木造感があるジャケットがいい、とかも言っていたからか、思い切って木製に!という、実はすごく素直で明快な発想です。学校の机のような素材のジャケットで、シンプルだけど、細部が丁寧で、ちゃんと重みがあって、ぎゅっと時間や思いが込もっている感じがして、これを知ってしまった以上、他のジャケットはありえないと思いました。この作品にふさわしいジャケットとなって、本当に嬉しいです。長井さんの審美眼といいますか、手に取って嬉しくなるようなものを作ろうとする、素直で控えめなのに心髄にぐっと訴えかけるような姿勢がすごくて、尊敬しています。

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最後に、今日1日聴いた音楽はどんな方の作品ですか?また最近お気に入りのアーティスト/作品があれば教えてください。

これを書きながら聴いたのは、記事を書くのにほどよい、すっきりとした集中力と心地よさ・軽やかさ・高揚感・流麗さ・優しさ・季節感と、ということで、『うるわしのヴァカンス グノー/サン=サーンス/ラロの歌曲と二重唱』最近聴いて気に入ったのは、Molly Drakeです。

■補足■ Molly Drake

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text : Kenji Terada (PASTEL RECORDS)

死してもなお影響を与え続ける、イギリス人シンガーソングライター、ニック・ドレイク。その母、故モリー・ドレイクのピアノの弾き語りで録音されていた幻の音源が、2013年にリリースされ話題を呼びました。モリーは、やっぱり…というかどことなくニック・ドレイクのお母さんだな~と思わせる、声の質感を持っています。ちょっとハスキーなんだけど、優しさがにじみ出てる歌声。そんな歌声で、とても心温まる美しいピアノの弾き語りを聴かせてくれます。歌、演奏、全曲オリジナルの作曲レベルは相当なものではないでしょうか。ホームレコーディングによる録音状況の辛さもあるんですが、それもなんだか長い年月を時空を超えてやって来たようなムードを演出しているような、彼女の密やかな歌声は時の経つのも忘れるくらい聴く者を魅了するものです。

http://www.squirrelthing.com/artists/molly-drake

2014年05月10日 | Posted in インタビュー | タグ: , , , Comments Closed 

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