【 公園喫茶インタビュー】Smile Down Upon Us(moom瑠)〜いつの日か、音で空気を一枚でもめくることができればいいな、と
interview & text : Kenji Terada (PASTEL RECORDS)
Smile Down Upon Usのセカンド作「Smile Down Upon Us 2」が約7年ぶりにリリースされた。Smile Down Upon Usは、Phelan Sheppard, State River Wideningのメンバーでもお馴染み、UKエレクトロニカ~ポストロックシーンの重要人物の一人、Keiron Phelanと、日本人女性シンガー/トラック(ストーリー)メーカーmoom瑠(ムームル)aka moomLoooによるデュオ。
牧歌的ながらも、繊細さとソリッドさを併せ持ったポストロックサウンド、なんだけど、moom瑠による、ドリーミーで浮遊感溢れる独創性と、英語と日本語の両方で歌われる”ことば”と表現力ある歌唱が加わることで、おとぎの国で、エクスペリメンタルポップを聴いているようなSmile Down Upon Usの音世界は、Rasmus Stolberg (Efterklang)、Psapp、Tunng、トクマルシューゴ らも称賛の言葉を寄せています。
今回のセカンド作には、Keiron Phelanや盟友David Sheppardをはじめ、Littlebowやソロ名義のIsnaj Duiで活動するチェリストKaty English、flauやhome normalレーベルよりリリースをするOrla Wrenなどが参加し、彼らのエクスペリメンタル・ポップな個性がより、わかりやすく伝わるものになっている。そしてこの作品で、歌い、奏でるmoom瑠さんの魅力をあらためて実感したな〜と。まだSmile Down Upon Usの作品を未聴の方は、最新作「Smile Down Upon Us 2」、ぜひ体験してみて欲しいです。
…というわけで、ソロとしても、竹村延和のレーベルchildiscからリリースのコンピレーションアルバムにも参加したり、CLAYからの作品「qoo気めくり」をリリースしている、メンバーのmoom瑠さんに、Smile Down Upon Usの経緯から自身のことまで、いろいろと伺ってみました。
Interview:moom瑠
インフォでは、Smile Down Upon Usの始まりは、マイスペースで知り合ったことがきっかけとのことですが、Keiron Phelanとはどのようなやり取りを経てSmile Down Upon Usへと繋がっていったのですか?
マイスペースがなかったらSmile Down Upon Usは生まれなかったです。まだマイスペースが全盛期だったあの日、私の声が好きだと、Phelan SheppardのKeironからメッセージがきました。話を聞いてみると、新しいユニットとして私と一緒にアルバムを作りたいとのこと。
彼らのことは全く知らなかったし、当然彼らの曲も聴いたことがなかったのですが、Leaf Labelのアーティストだと知ってびっくり。これは凄いアーティストからメッセージをもらってしまったと。。しかし私はソロ活動に邁進しているところだったし、アルバムを一緒に作ることになれば、しばらくの間ソロ活動が出来なくなることは分かっていたので、この話を受けるかどうかは正直すごく悩みましたが、彼らのアルバム”Harps Old Master”を聴いて感動し、彼らと音楽を作ることで、今後自分のソロ活動を続ける上でもきっと良い成長に繋がるはずだと思い、私は彼らと一緒にアルバムを作ることを決心しました。
Smile Down Upon Usの明確なコンセプトみたいなものはあるのでしょうか?あるとすれば教えていただけますか?
特にメンバーとコンセプトについてちゃんと話し合ったことはありませんが、確か、KeironがSmile Down Upon Usのユニット名を付けた時に、「”smile”という単語は日本語っぽくて面白いし、親が僕たち子供(Keiron、David、私のこと)に微笑みかけてるようなイメージなんだよ。僕らの曲のイメージに合ってるからこの名前にしよう」といってました。私の中でも子供が持つイノセントな部分など、moom瑠ソロとは違うアプローチは意識していました。
新作に関してですが、ファーストから7年かかりましたが、具体的な制作プロセスはどんな感じだったんでしょうか?
まず、当時、お互いに(特に私自身がですが。。)かなりヘビーなアクシデントがいくつも重なってしまい、環境やメンタルが整うまで、とても時間がかかりました。それにしても長すぎですが。。(汗)制作プロセスは、基本的にはファーストアルバムの頃から変わっていません。
Keironがインストのオケを作り、スタジオで録音したものを音色ごとに別々のトラックにして転送ファイルで私に送ります。それを私は自分の音楽ソフトに落として、曲からイメージする世界を膨らませていき、まずボーカルパートのメロディを考えて仮歌を入れてから効果音をのせたりシンセの音色を加えたり。。
曲が出来たら歌詞を付けて今度はボーカルトラック以外のミックスを終わらせて最後にボーカルのレコーディングをします。そして最終的に全体のミックス調整をし、ミックスダウンしたファイルをKeironに返します。そのファイルをKeironはロンドンのスタジオに持っていって、私が作った音を聞き、編集して少し変えたり、楽器を使って違う音をさらに加えたりしてミックスダウン。そうしてやっと一つの曲が完成します。
でも、今回のアルバムの中の曲、”One Feathered Shoal”、”Mill Wall”、”Butterfly Morning”、”Dragon Song”、”Took by Crows”に関してはオケを送ってくれた段階で歌詞もメロディも先に出来ていたので、他の曲と少し制作プロセスは異なります。
個人的にはファーストアルバムよりも、ぐっとmoom瑠さんの歌唱表現の豊かさが伝わる感じがしました。特にラストの”powam song”は日本語詞ということもあるんですが、ソロ作でもここまでストレートに歌に対して踏み込んだ曲ってあったかな?と新鮮な驚きもあったのですが、moom瑠さんの中では、他の収録曲と比べ、意識の違いはありましたか?
この曲は、手を繋いでほどいた後に残る大切な人の体温が消え往く儚さを歌った歌です。ちょうど、日本盤のリリースの月でもある7月の12年前に父親を亡くしまして。。「父親の体温はどこに往ったのだろう。。」そんなことを考えながら歌ったので、リアルな表現が出来たのかもしれません。
Keiron Phelanや、David Shappardら参加アーティストの生み出す牧歌的だけど、独特のソリッドで洗練された質感、そしてmoom瑠さんの持つふわふわした感覚と時折聞かせてくれる日本語詞の持つ言葉のバランスが上手く取れていると感じるのですが、Keiron側と制作面での感覚的な違いはありましたか?またこれまで、彼から影響を受けたことはありましたか?
基本的に何でも自由にやらせてくれたので、気は楽でした。ただ、やはり感覚的な違いで困った事を上げるとすれば、音に対する意識の違いですかね。。私にとって効果音は他の楽器と同じぐらい大事な音色の一つなのですが、私が作った効果音のパートの音がロンドンで最終ミックスされた後にとても小さくなって返ってきて、Keiron側との効果音に対する意識の違いが浮き彫りになり、フラストレーションを感じることは何度かありましたが、こちらの意向を伝えるとミックスし直してくれたり、再度最終的なミックスを私に任せてくれたので問題はありませんでした。
彼から影響を受けたこと。。今はっきりとは分からないのですが。。
毎回彼とファイル交換をして感じていたことは彼の子供の様な柔軟な想像力の素晴らしさです。手紙の様にファイルを交換をしていく中で、「ああ!そういう風にくるか!」とか「それもありなんだ!」とか新鮮な驚きがたくさんありました。音楽のスキル等、私には到底及ばない程なのに固定概念に捉われてない思考をいつまでも持ち続けられるってすごいことだと思います。
ジャケットのアートワークは丸山勇治さんですが、ファーストや、moom瑠さんのソロ作も丸山さんに依頼されていますよね?丸山さんの絵の魅力について聞かせてください。
丸山くんとは、地元のアーティスト・ラン・スペースで出会いました。旧友でもあり尊敬するアーティストの一人です。そこで開催された彼の個展で、3面の白い大きな壁のペインティング作品を見た時、動けなくなりました。彼の中から奏でられる色や線から薫り立つ世界、その全てが圧倒的で飲み込まれそうになりました。まるで本当に絵が生きているかのようでした。それからずっと彼の作品のファンです。アルバムを自主制作していた時代からジャケットのアートワークを依頼してます。丸山くんから生まれる世界は、見る人をHappyにしてくれる力があると思います。
突然ですが…
丸山勇治さんにもコメント頂きました!
moom瑠と出会ったのは、北九州にいた頃。もう10年以上前の話。初めて会った時の事は、酒の飲み過ぎで思い出せませんが、彼女が感覚的にものごとをとらえているのには、始めからシンパシーを感じました。そして最初にリリースするアートワークを相談頂き、2人で話し合いながら、主に手作業で作成していました。
後にCLAYから出されたソロアルバム、そして更に、Smile Down Upon Usの1stと今回の2ndも依頼頂き制作しました。moom瑠は、言葉を色や触感のように捉えていたり、音楽の中に住人や生き物、物語を感じさせます。
S.D.U.U.の他のメンバーと会った事はないですが、音楽そのものから、彼らを感じ取る事ができます。今回のアートワークも、いつものように、彼らの音楽の中をイメージで泳ぎ飛びながら、手で描いたものをpcでmixしました。
みずみずしい遠くにいる近い生き物の友達みたいな音楽。
salamat コップンカップ ありがとう。
moom瑠さんのことについても、お伺いしたいのですが、最初に音楽を始めたのは、いつ、どういうきっかけでしたか?
音楽の楽しさを教えてくれたのは音楽が趣味だった父親が切っ掛けです。4歳の時に父が私にピアノを買ってくれて、それから10年間ピアノを習ってました。そこからですね。音楽を始めたのは。
誕生日か何かにカシオのキーボードを買ってもらってからは、曲を作って隣に住む女の子にピアノを教えて一緒に練習をしてミニライブを家で開いたりしてました。お客は隣のおばちゃんと私の家族のみでしたが。。あと、私の母は大家族の末っ子で私には親戚がたくさんいるのですが、子供の頃、お正月などビッグイベントの時はだいたい大勢で集まることが多く、その度にみんなの前に立って歌声を披露していました。みんなの喜ぶ顔がすごく嬉しくて。。歌を歌うのが好きになった切っ掛けだと思います。
現在の作曲スタイルに影響を与えた作品(音楽以外でも)があれば教えて下さい。
私にとって作品を創るという行為は、特にソロの作品作りにおいて作曲とは少し違ったアプローチなので、どうしても幅広くなってしまいます。。刺激を受けた作品、出来事はたくさんあって、全部は書ききれないのですが、音楽だとBjork、World’s End Girl Friend、Kraftwerk、Pink Floyd、TLC、スッパマイクロパンチョップ、竹村延和、七尾旅人、Pipin(福岡在住のシンガーソングライター)。音楽以外の音だと映画などの効果音や身の回りの環境音です。
音以外だと、ミヒャエル・エンデ、宮沢賢治の文学や、映画ではマーク・ベンジャミン「Slam」、ヴィム・ヴェンダース「ベルリン・天使の詩」、木村哲人の本「キムラ式音の作り方」などが挙げられます。それから、以前は画家で現在小説家の知人が私に言った「個々の人の頭の中にその人にしか見れない絵が描けるから小説家になった。」という言葉や、川崎友佑子の映像作品にも大きな影響を受けています。川崎さんには今回「Powam Song」のMVを制作してもらいました。
また、友人の部屋の窓から覗く景色がWechsel Garlandの曲「Falter」とリンクして映像作品に見えたことなど、現象そのものから刺激を得ることも多いです。これらのものが、私の作品スタイルにどう影響を受けているのかは分からないけれど、その要素が私の中で消化され、現在の作品スタイルに繋がったのだと思います。
曲が生まれる時はどういったきっかけから生まれることが多いですか?
Smile Down Upon Usを創る時はちょっと当てはまらないのですが、私の中の見たい物語の世界が色づき始めた頃。
ソロ活動についても楽しみにしております。今後、新作やライヴの予定は?
今まで使っていた機材を一新し、ずっと温めていた幾つかのアイデアを元に、現在新作を制作中です。早ければ年内にはライブを再開するつもりです。今後はライブを中心に活動していきます。
最後に、他人にとっては不必要と思われることでも、moom瑠さんにとって大切にしていることって何かありますか?
今ある現象にしっかり目を向けた上で、眼に映らないものを見ようと努めること。偏りすぎることは、もちろん危険だけれど。瞼の裏にあるもう一つの視線を空気の奥のほうにまで向けてみれば、きっとまだ見たことのない凄い世界が拡がっていくような気がします。そうして、いつの日か、音で空気を一枚でもめくることができればいいな、と思います。